miisuke1968's profileみいすけの小宇宙 ~Inner Space~PhotosBlogListsMore ![]() | Help |
みいすけの小宇宙 ~Inner Space~人 生 に 8 割 の 日 常 と、 2 割 の 非 日 常 を。 ★☆★☆ 猫と中国語と幽体離脱 ☆★☆★ ※ いやぁ~、昨日のK-1香港大会って どうよ?!武蔵も王選手もカワイソス。(´・ω・`) August 03 ♪Please take me to ballpark.日本の夏の風物詩といえば…。 あれ、この前と同じ話題ですかって? えぇ、そうですよ、そうですとも(笑)。 何故って、日本の夏は お祭と花火ばっかりじゃありませんもの。 へそ曲がりな僕、あまり他人が記事にしないネタを探すのに必死であります。(^▽^;)
実は昨日、わたくし久しぶりにある場所に行って参りました。 そこは ある人にとっては どうでも良い場所ですが、 またある人にとっては、正に“聖地”と言って良い程の場所なのです。 もうすぐ始まる、暑い夏よりも もっともっと熱い戦いの場。 そしてそこはまた、我々関西人が最も熱狂する場でもあります。
── そう、それは『阪神 甲子園球場』です。
来自本土的中国朋友们看日本的TV吃惊的事之一,有日本的职业棒球转播。 根本日本的TV频道数比中国非常少。但是,在那个少的频道中,在日本好像每天一样地有职业棒球的转播。 正如我们所知的那样,在台湾盛行的棒球,在中国本土几乎没被知道的一个「MINOR SPORTS」。 在中国「足球迷」很多。「棒球迷」非常少。 其实在中国也有确凿的「职业棒球队」。可是,即使那个也不知道那样的中国人也多。 面向2008年的北京奥运会,可能「中国选拔队」也被结成。 不过,真遗憾,现在还没有韩国・日本等亚洲的硬手与势均力敌作战那样的力量。 但,今后中国如果变得当真专心致力为棒球的普及与作战能力提高, 5年后…至迟10年后的未来,中国必定成为日本的好对手吧。
现在在日本有2个同盟,12个职业棒球团,从每年4月开始的半年渡行,展开激烈的优胜争夺。 一共有12个的职业棒球团里,最受欢迎的队伍哪一个? 恐怕,大部分的人们回答「巨人与阪神」的2个队伍吧。 总之在日本,动不动就关西与关东互相竞争。就说东京人与大阪人竞争的。 这个正好北京人与上海人动不动互相竞争的事一模一样(笑)。 其实「巨人」在东京据点地的队伍,「阪神」是神户(大阪)据点地的队伍。 在哪个队伍有一些的狂慕者。不过,对于阪神タイガース这些人特别多(苦笑)。 我这个人,当然是个“阪神迷”。 不过,冷静地看,坦白的说,其实阪神这个队伍没有那么强,也说没有很弱的…(笑)。 可是如果在受欢迎这个点来说,恐怕阪神是在日本第一名的队伍吧。 能认为并不是那么强的队伍的阪神,接受到这么狂热性的声援的理由之一,有关西人有的独特的风气。 总之关西人非常喜欢「乱吵乱闹」(日语)。 这个「ジェット風船飛ばし(气球放飞)」动画(日语),是阪神独特的声援方法。 关西人喜欢这样的乱闹性的声援。 也许在这样的地方之内,说不定日本人沉醉于有种一体感。 譬如美国,同样的棒球观战,没有像日本那样的集体声援。各自随便地声援或者喝倒彩。 这样的差异是国民性的差异吗? 一般来看,不仅日本东洋人好象喜欢这种集体性的陶醉。
不管怎么说,尽管棒球最近被足球的受欢迎压在劣势状态。 不过,在日本从少年到相当大的年龄者宽广地聚集受欢迎的体育的。对这件事没有异议的余地。 其实这所甲子园棒球场(中文・繁),还有一个“脸”。 那就是「高校球児(在高中练习打棒球的青年)」的一个大显身手的地方。 在日本每年春天与夏天的2次,在这所甲子园棒球场被举行全国高中棒球冠军大会。 平素对于职业棒球等没有兴趣的女性们之中,只这个高中棒球要看这样的人也不少。 从自己的出生地来的高中生们,输了一次就结束这洋的淘汰赛方式中,拼命地奋战。那个心情也能同意的。
现在住在日本的你! 棒球之类即使一个规则都不知道也行,跟棒球迷的日本朋友一起,试着去一次附近的棒球场怎么样? 要是“外野席”费用也便宜。 闷热的夏天夜晚,边喝凉的啤酒,边跟朋友们一起大声吵嚷快乐地观战棒球。 这个也是非常棒的日本夏天的风景诗之一。
お勧めの阪神応援GOODSは、男性はこれ(日文)、で 女性には可愛いこれ(日文)かな? …え? 何か無理やり阪神ファンに引き入れようとしてる気がする!? い、いやぁ そ、そんな事は べ、べっ別に…アハハハ。← 図星
なお どうでもいい薀蓄ですが、 甲子園の土には 中国福建省から運んできた白砂が半分使われているそうです。 …ところで、見に行った試合の方はどうだったか? 藤川投手の調子が悪くてヒヤヒヤしましたが勝ちましたよ、阪神タイガース! ! ☆彡(ノ^^)ノ☆彡ヘ(^^ヘ)☆彡(ノ^^)ノ☆彡 Congratulations!!(狂喜) これも偏に 僕がわざわざ見に行ってやったお陰…じゃあないですね、失礼しました(笑)。
実は携帯で 恒例の「ジェット風船飛ばし」の動画や、「六甲おろしの大合唱」の音声も 録音してきたんですが、どうも これをパソコンで再生するのは無理みたいです(泣)。 撮って来た写真だけはUPして置きますね。 ということで(?)、頑張れ、阪神タイガース!!(〆になってない)
July 29 幽体離脱 その21今週は 土曜日の夜遅くまで仕事で、しかも今日は選挙。
大好きな釣りに行けなくて、少々POWER DOWN気味のみいすけです。 まぁ、ちゃんと投票には行ってきましたよ。( v ̄▽ ̄) イエーイ♪ さて 前回からの続き。 一口に“夢の世界”といっても、実は 様々な階層が存在しているんです。
何度か『玉ねぎの皮』の例で説明しています通り、三次元世界にも四次元世界にも、 この階層は存在しています。 三次元世界と四次元世界の大きな差異は、三次元では その人の精神レベルとは関係なく 住む場所が 決まっているという点。 例えば 1つの大きなマンションがあったとしましょう。すると、当然そこには色んな人が 住んでいますよね。中には悪い人も住んでいるかも知れませんし、とても立派な人間も住んでいるかも 知れません。つまり、大まかに言って その人の精神レベルと 存在する空間の間には、何ら顕著な 関連性は見られないという事です。 ところが、四次元では明確な“住み分け”が見られます。
極めて単純化して言えば、悪人は悪人の世界、善人は善人の世界にしか住めない訳です。 ただし、この住み分けは 誰か他人によって決められるようなものではありません。 日本人は昔から、死後には閻魔様の裁判が待っている というような言い伝えがありますが、 四次元の住み分けは、別に この閻魔様による裁判で決まる訳ではないのです。 では どうやって住み分けがなされるかと言えば、これはもう自然に決まると言うのが一番正しい表現
なのかも知れません。水が入った容器に、砂や小石が入り混じった土砂を入れてみたらどうなるでしょう? 重い小石は早く沈んで容器の底に溜まるでしょうし、小さな砂はゆっくりと水中を沈んで行き、やがて 小石の上に溜まるでしょう。水が澄んだ時には、容器の底には 小石と砂の、見事な“階層”が出来上がる でしょう? 四次元ではそんな風に、自然と それぞれが住む世界が決まってしまうのです。 当然ながら 高い精神レベル・崇高な意識・純粋な愛などを持った人たちの住む世界と、
邪悪で 利己主義で 疑いや恨みを捨て切れない人たちの住む世界は異なります。 四次元とは“想像(IMAGINATION)”の世界です。 例えば三次元世界で、今からすぐアメリカに行きたいと思っても、時間も準備も色々と大変ですよね。 ところが四次元では 行きたいと思った瞬間にはアメリカに行けるんです。 これを もう少し極端に言えば こうなります。 三次元で 例えば誰かを恨んで『殺してやりたい!』と思っても、そうは簡単には出来ません。 しかし四次元では……。 もうお分かりでしょう? 四次元は三次元とは違い、想像と現実の差が ほぼゼロなんです。 そんな世界に 危険な思想や邪悪な意思を持つ人が 自由に生活したら、大変な事になってしまいます。 だからこそ、他の人たちに悪い影響を与えるような思念を持つ人たちは、ある特殊な階層に集められて そこで“隔離”されるんです。もっとも 本人たちは隔離されているとは思っていませんが。 さて、今日の本題は『夢の種類』でしたね。 冒頭に このようなお話をしたのには訳があって、夢の種類のお話には この住み分けという概念と、 精神レベルという概念を、皆さんにも知っておいて頂く必要があったんです。 この住み分けや精神レベルのお話は、次回以降に本格的に出てきますので 憶えておいて下さいね。 夢の中で 私たちが訪れる世界には、大きく分けて3つの世界があります。
といっても、実際に3つの世界が存在している訳ではありません。あくまでも私たちが夢という異次元 世界を理解する上で、それを3つに分類した方が都合が良いだけです。 そこでの実際の違いは 訪れる世界の違いではなく、実は夢を見る人の意識の違いなのです。 1つめは 私たちにとって一番日常的な夢の世界です。
肉体のREFRESHの為に 一時的に体外に出たアストラル体は、主体的な意識を持たないままで 世界を浮遊します。これは言わば“夢遊病者”的な状態ですが、アストラル世界で実際に このような 人たちを見ると、まるで薄いベールに包まった胎児のようになって浮遊している場合が多いです。 本人には主体的な意思や意識がありませんので、実際にアストラル世界に来ても どこかを訪れるという 訳ではなくて、自分の周りに 自分しか見えない・触れられない、一種のIMAGE世界を作り出します。 それは その人が日頃 興味を持っている場所だったり、関心を持っている人の居る場所だったりします。 つまり ここで肝心な事は、彼らは実際に 夢の中である場所を訪れている場合もありますが、多くの場合 ただ単に自分の持つIMAGEを、四次元世界に作り出しているだけだという事です。 彼らを包む薄いベール状のものは、彼らが生み出す思念波や感情エネルギーが その世界に影響を 与えないよう遮断する働きを持っているそうで、通常は その人のCONDUCTORが用意します。 さて、ここで1つの疑問が浮かんで来ます。
先程、四次元とはIMAGINATIONの世界であり、想像と現実の差が無い世界だと言いました。 想像した事が 即現実化する世界であれば、このような夢の世界での“妄想”も、実は現実に起こっている 事だと言えるのではないでしょうか? 例えば あなたが夢の中で 誰か好きな人に逢いに行ったとしましょう。 これは実際に四次元世界で あなたとあなたの好きな人がアストラル体で出会ったという現実なのか、 それとも 単なるあなたの妄想、つまり“夢の中の夢”なのでしょうか? ── この説明が、実は非常に難しい問題なんです。 結論から言えば、実際に起こったとも言えるし、ただの妄想だったとも言えるのです。 ??? そんな説明では納得できない? …う~ん、そうでしょうね。僕も そうなんですから(苦笑)。 でも このように説明する以外、今のところ良い方法が見当たらないのですよねぇ。 理解し難い説明ではあっても、敢えて説明するなら こういう説明はどうでしょうか?
今、目の前に1つのサイコロがあるとします。 そしてこれから 皆さんがそのサイコロを振ります。当然 結果として1から6までの、どれかの数字が 出ますよね。1から6まである未来予想の内、結果は必ず1通りの答えな筈です。 サイコロを一回振って、2と5が同時に出るというような事は、三次元世界では決して起こり得ません。 ところが、夢の世界というのは 1から6までの結果全てが同時に存在している世界なのです。 …ますますこんがらがって来た? まぁ そう言わずに もう少しお付き合い下さいな(笑)。
でもこれ。単純に考えれば、必ずそういう結論になってしまうんです。
だって『想像 = 現実』という数式が成り立つ世界なんですから、三次元的な『想像 ≠ 現実』という 既成概念では とてもじゃないですが太刀打ち出来ない世界なんですよ。 では ここで、あなたが夢の中で好きな人に逢いに行った。でも、その夜 相手はそんな夢は見ていなくて、 実は あなたとは違う誰かに逢う夢を見ていた…としましょう。 こんな時、私たちは 2人が見た夢は、 ①どちらも妄想 ②どちらも現実 ③どちらかが現実で、どちらかが妄想
…という仮説を立ててしまいますよね。そして 当然のように ①こそが正しい答えだと思うでしょう。
そういうあなたは 実にマトモな思考力を持った人ですよ(笑)。 ところが、夢を見た人たちは どちらも『大好きな人に逢えて楽しかった』という記憶を手に入れます。 夢という“因”が、楽しかったという“果”を生み出しました。 私たちは日常的に こんな体験をしている訳ですが、ふと考えてみれば これって実に不思議な現象です。 物理学的な見地で考えれば、現実に起こっていない事象から 結果が生まれる事はありませんから。 (夢を見るという行為を、一種の物理現象だと捉えれば 話は別ですが) 現実世界では起こり得ない事でも、起こってもいない事でも、人間は それを夢で体験出来たりする訳 なんですよ。まぁ そこが人間というか、夢の不思議な魅力でしてね。 結局のところ、『想像 ≠ 現実』という概念を捨てずして、夢の世界…というか四次元世界を理解する
のは、非常に困難な事のようです。 そう考えてみると、サイコロ1つ振るだけでも 何か感慨深いような気分になります。 私たちが三次元で手に入れられる未来(結果)は、この場合 六分の一の確率しかありません。 しかし、当然それ以外の 六分の五の未来が、確率として存在しなかった訳でもないのですね。 夢の世界は 三次元では現実化しなかった未来さえも、その存在を許されているんです。 ん? …でも チョット待って。 そんな事が可能な世界ならば、1つしか無いはずの未来が たくさん誕生してしまいますよね。
サイコロを3回振れば、6×3通りの未来が同時に生まれてしまいますよ。 その未来が それぞれに成長して行けば、数え切れない程の未来が生まれて行く事になります。 もし そんな事が三次元世界で起これば、大変な事になってしまうでしょうね。 四次元ならば、それはOKなんでしょうか? 実は四次元でも このたくさん誕生した未来は、やがて“収斂(しゅうれん)”というPROCESS を経て、生まれては消える泡のように その殆どが やがて別のENERGYに変化して 消えて行くのです。つまり『想像 = 現実』という数式から言えば、 まさに想像する事を止めた時に、その世界は消滅してしまうのですね。
無限大複数未来の問題は、一応これで 一件落着するはずです。
読者の皆さんの中には、まだもう1つ、
『じゃあ 結局、誰かが私の夢を見たとして、そこに出てきた私は 本物の私なのか?』 という疑問が残るかも知れません。会社で 自分の嫌いな上司から 「昨日、君の夢を見たよ。」 なーんて ニヤニヤ笑って言われた日には、背筋が寒くなるでしょうからね。 これは 確かに本物の場合もありますが、殆どは その夢を見た人が自分で作り出したIMAGEです。 しかし、知っておいて欲しいのは、たとえ 勝手に作り出されたIMAGEであっても、その夢の中で 生まれた感情や意思は、時として その夢を見た本人の人生や、引いては現実世界のあなたの人生にまで 影響を及ぼす可能性がある、という事ですね。 …う~む、またまた話が脱線気味ですな。(;´▽`A`` とにかく、我々が見ている夢。
夢見たいな話、とか 夢のような気持ちです、なんて良く言いますが、『想像 = 現実』の四次元世界 では、それは“夢”であると同時に、“本当に起こっている事”でもあるのです。 頭の固い人たちには どうにも納得できない事なのですが、これは事実なんですね。 取り敢えず、私たちが良く見る夢は、多くの場合が このIMAGE投射なのだと理解して下さい。 次回は 2つめの夢、『無意識下のアストラル旅行』についてお話しましょう。 ※ このお話はフィクションです。
July 23 歳月も 国境も 生死すら越えて貫いた愛 ~ある日本人と中国人の恋愛故事~久しぶりに、気合いを入れて翻訳したい記事に巡り合いました。
来週は かなり仕事が忙しいようなので、頑張って一日で読み切りの記事にしましたよ。 読者の皆さんも今日は少々長い記事になると思いますが、是非ともじっくりと読んで頂きたいと思います。 いつものようにかなり適当な翻訳ですので、中国語が読める人は、是非 原文も合わせて味わって下さい。
※ 文中の敬称は省略させて頂きました。また、参考とした2つの文献には内容に多少の差異がありますが、 どちらが正しいかは、関係者ならびにご本人しか分かりませんので、こちらで書きやすい方を採用させて頂いております。
原文掲載元: ① 『 守候54年跨国生死恋 日本老太来汉踏访未了情』 (中文) ② 『日本护士和湖北军官半世生死恋』 (中文)
── 中国、武漢の国際空港は 「天河空港」、つまり「天の川空港」と呼ばれている。
天の川伝説の牽牛と織女は、年に一回 この天の川を越えて再開を果す。
しかし、この世には もっと長い時間を経て再開を果す恋人達も居る。
いや、これから紹介する2人は、時間はおろか国境も、生死すら越えて互いに信じあい、
愛し合う事の出来た人たちだ。
2006年のある日、この天河空港に 一人の日本人女性が降り立った。
彼女の名前は「溝脇 千年」。今年で79歳になられる彼女は、
自身の数奇な運命の中で、半世紀前、ある中国人青年と恋に落ちた。
そしてこの日、彼女は12年ぶりに 愛する人のもとを訪れた。
二人の人生が 運命によって引き裂かれてから、既に54年の歳月が流れたが、
2人は今でもれっきとした「恋人同士」である。
日本女孩来到中国
太平洋戦争末期の1945年4月、
僅か17歳の少女「溝脇千年」は、国からの命令によって 中国東北部の砲弾工場労働者として
中国へと召集された。
だが、そこで見た戦争は 日本で報道されていたものとは 全く違っていたのだろう。
純粋で多感な少女にとって、この戦争は 決して正義の為の戦争には見えなかった。
日本軍に蹂躙される中国人民たちの悲惨な姿を目の当たりにして、彼女の心は揺れた。
それまで正しいと信じていた物が 心の中で崩れて行くのを感じたのだろうか?
やがて彼女は ある決意をし、その決意を実行に移す。
…自ら中国の抗日軍部隊へ投降したのである。
程なく日本は、自国民だけで300万人とも言われる多大な犠牲者を出した末に敗戦。
彼女には帰国という選択肢もあったが それを放棄。中国東北の八路軍(現:人民解放軍)に、
従軍看護士として編入される事となる。
「日本人の自分が、果たしてこの中国で 看護士として受け入れて貰えるのだろうか?」
不安な気持ちを抱えながらも、彼女は東北遼東軍区第一後方医院での勤務をスタートし、
その後彼女は解放軍と共に砲弾の雨の中を掻い潜りながら、北から南へと転戦してゆくのである。
与中国军官相识相恋
1952年夏、彼女の他7名の日本国籍を持つ従軍看護士たちは、
中国南部の広西3031医院から、湖南省と湖北省の境界に位置する小さな村落「羊楼洞」
にある、解放軍療養所への転属を拝命する。
彼女は8人の内で最も年少者であったが、最も快活で また悪戯好きでもあったという。
そして彼女の運命の輪は、この地で再び回り始める。
この辺鄙で小さな村落の、そのまた小さな療養所で、
溝脇千年は その生涯において忘れる事の出来ない、たった1度の深い恋に落ちる事になる。
その相手こそ、「杜江群」その人である。
2人が出逢った時、杜江群は孝感(地名)軍政大学政治教員という身分だったが、
彼はまた華中農業大学を卒業後、自ら地下組織を作った事もあるという特異な経歴を持つ、
29歳の青年であった。
彼がこの療養所に送られてきたのは、彼の肺が 若くして「結核」に冒されてしまった為である。
彼は療養所でも 患者たちで組織する党の政治委員を務めていた。
聡明なだけでなく、非常にユーモアがあり、彼自身の病気の重さを周囲に感じさせないほど
明るく皆と接し、療養所でも大変に評判が高かったそうである。
彼のかつての戦友、王家禄さんは 自身の記憶の糸を手繰りながら、こう懐述する ──。
「…ある日、一人の患者が 彼女の差し出す薬を飲むのを乱暴に拒否したんだ。
彼女は その事にすごく傷付いてね。すると それを知った杜江群は、自らその病人と膝を交えて
じっくりと話し合い、その患者の心の苦しみを解きほぐし、最後には彼女に対して
心から謝罪させた…そんな事があったんだよ。」
この一件から 杜江群という人間のひととなりを知った彼女は、時間を見つけては彼のもとを尋ね、
彼から一生懸命に中国語を習っていたという。
彼女自身の心に残る杜江群の印象はどうだろう。
「…とにかく、本が好きな人でした。いつでもどこでも本や新聞を手放す事がなくって、
ベッドの上でも 外に出るときも、とにかく手にした本を読んでいましたね。
それと、大変にユーモア精神に溢れる人でした。」
やがて、羊楼洞という小さな村落の川縁で 橋の上で 木立の中で、
共に語らい、共に本を読み、共に歩く楽しげな2人の若い男女の姿が見かけられるようになる。
結核は ご存知の通り伝染病である。
しかし、彼女にとって そんな事は意に介するようなものではなかったのだろう。
ある時、杜江群が高熱を発し 昏睡状態に陥った。
ところが羊楼洞には 高熱を冷やす為の水が不足していて、
看病する者達にも 彼の高熱をどうする事も出来なかった。
その時、彼女は コツコツと貯めた僅かな自分の給金を握り締め、街中からアイスキャンディーを
買い込んで病院に走り戻って来た。
このアイスで彼の体を冷やそうと、とっさに思い付いたのである。
この彼女の機転で、杜江群は生命の危機から脱出するのだ。
こうして 彼女は杜江群という一人の人を通して、中国という国を深く知るようになった。
そして それ以上に、彼「杜江群」という人をもっと深く知りたいと思い始めるようになっていた。
そう…、恋に落ちたのである。
相处一年后鸿雁传情
彼女が羊楼洞の療養所で働いた期間は、たった一年だけだった。
程なく、彼女は湖北省の襄陽(地名)にある湖北襄陽軍区医院への転属を命じられる。
如何に互いに惹かれあう者同士であっても、当時の中国国内の混乱から考えれば、
私情から 敢えて軍の命令に逆らう事など出来なかった。
羊楼洞を発つ日、彼女は杜江群の病床の下に、手縫いの花柄のハンカチ、枕カバーなどを
そっと忍ばせた。現代の若者であれば、今ひとつ違った愛情の表現方法もあったかも知れない。
だが戦時下の、しかも20歳にも満たない外国人の少女が、年上の男性に対して示す事の出来る、
これは最上級・最大限の愛情表現だったに違いない。
── 原文には書かれていないが、一方の杜江群の気持ちは どうだったのだろうか。
恐らく彼自身は 自分が溝脇千年を愛している事も、溝脇千年が自分を愛している事も
知っていたのだと思う。
しかし、彼は重い結核に冒されており あと何年自分が生きられるかすら分からないような
身の上にあった。
そのような状態で、果たして愛する人に対して 簡単に自分の想いを打ち明けられる人間が
居るだろうか? 人は誰かを深く愛すれば愛するほど、自分の幸せよりも、
相手の幸せに想いを馳せるものなのだ。
もし、彼女がはっきりと 彼に対する「愛」を打ち明けていたとしたら?
もちろんこれは想像の域を出ないが、恐らく彼は 彼女の自分に対する想いを 拒絶せざるを
得なかったのではないだろうかと思う。何より将来ある彼女の為に…。
彼自身、彼女を愛すれば愛するほど、自分の身の上が悲しく辛かったに違いない。
僕の心には、彼女の前で明るく振舞う杜江群の姿と、一人になった杜江群が、ベッドの上で
沈痛な面持ちで物思いに沈む姿の、その両方が見えてしまう気がしてならない…。
彼女が羊楼洞を離れてから後は、2人の間に 頻繁に手紙のやり取りが交わされた。
ある時は 彼女から、紅い服を着て 優しい笑顔を浮かべた日本女性の絵が送られた事も
あったという。それら 彼女が彼に送った手紙のほとんどは、半世紀を経た今でも、
杜江群の縁者の手で大切に保存されているという。
病重之时依依不舍
こうして互いに想い合う二人の間で、その愛情は大切に、しかし着実に育まれていった。
しかし運命はいつも、人間に笑顔だけではなく、その残酷な一面をも垣間見せるものである。
彼らの愛が育つに連れて、 杜江群の病状も日に日に その深刻さを増していったのである。
1954年秋、杜江群は大量の吐血の末に、これまでで最も長い昏睡状態に陥った。
誰の目にも、彼の人生の時間は もうそれほど長くは残されていないと感じられた。
長い昏睡の末、杜江群が死の淵から やっと抜け出したその時、
突然 襄陽軍区医院に居るはずの溝脇千年が病院に現れた。
彼女は彼の危篤を知るや、正に飛ぶが如く駆けつけてきたのである。
ところが杜江群は、はるばる駆けつけて来た彼女の面会を謝絶する。
「どうして彼と逢えないのか?!」 彼女の心は混乱する。
杜江群は 自分のやつれ果てた姿を見れば、
彼女が 彼女の持つ従軍看護士という責任を放棄してでも、
自分のもとに留まろうとするに違いないと心配したのだろう。
「どうあがいても死んで行く者の事よりも、君は君が救えるかも知れない命の為に働くべきだ。」
彼はまた そう考えたのかも知れない。
だが、彼女にしてみれば これほど辛い拒絶は、生涯かつてなかった事だろう。
彼女は一人 病院から駆け出し、田んぼの中で泣き叫びながらも こう祈ったという。
「彼が生きてくれさえすれば、それでいい。」と。
やがて彼の病状が安定すると、やっと彼は彼女との面会を承諾する。
彼は面会する前、特に介護の者たちに頼んで、シャワーを浴び 髭を剃り 散髪までしたという。
少しでも 元気な姿を見せて、彼女に安心してもらう為の、それは彼なりの思いやりだった…。
彼の回復した姿を見て、彼女は 後ろ髪をひかれるような思いを感じながらも、
ようやく襄陽に戻る決心をする。
羊楼洞を発つ際、彼女は「陳小雨」という療養所の看護士に託して、
一枚の赤い木の葉を 杜江群に送った。
陳小雨は、杜江群がその葉を受け取った時、彼の病で蒼白になった頬が、喜びで
ほんの僅かに紅く色付いた情景を、今でもはっきりと憶えているという。
每年祭日遥念战友
陳小雨は、杜江群と 彼女についても二、三の話を交わしたそうだ。
「彼女が このまま中国に残ってくれればいいのにね。」 そう話す陳小雨に、
彼は同意を示したという。しかし、本心では 彼は彼女が自分の望む道を迷わず進む事だけを
その心に祈っていたのではないだろうか。
時は1954年。
ようやく戦後の混乱から抜け出した日本では、戦争で国外に取り残された邦人たちを、
本国へ帰還させる運動を始めていた。
溝脇千年の元にも、本国・日本への帰還勧告がもたらされる。
この時、まだ日本と中国は その国交を回復していない。
恐らくは 中国政府からも、在華邦人に対する帰国の働きかけがあったのだろう。
彼女は 一度は見限った母国への帰還を余儀なくされたのである。
1955年4月、漢口江(武漢市)のほとり、四官殿(地名)の波止場に、
今生の別れの時を告げる汽笛が 悲しく鳴り響いた。
既にこの時、自分の力では歩く事さえままならなくなっていた杜江群は、
付き添いの看護士らと共に、車で武漢関(地名)へ。さらにそこから担架に乗せられて
四官殿の波止場まで 彼女を見送りに来ていた。
この時 杜江群の顔面は 重い病状の為に黄色くなり、
言葉を話すだけで息が切れてしまうような状態であったという。
しかし、彼は渾身の力で彼女に微笑みかけ、彼女の手を握ろうとした。
彼女が握った杜江群の手はすでに冷たかったが、それでも彼は 力の限り彼女の手を握り続けた。
…今では とても信じられないだろうが、出逢って恋をして一年で離れ離れになった2人にとっての、
これが最初の“体の接触”だった。
冷え切った杜江群の手のひらの感触を感じながら、彼女は涙に暮れていた。
愛する彼に触れている至福の喜びと、その手を離した時が、あるいは永遠の別れになるかも
知れぬという悲しみ・寂しさ。
その両方の感情が 彼女の両の眼から涙となって 止め処なく溢れ出ていた。
その時、どんな事を彼に話したのか。彼女自身も良く憶えていないという。ただ憶えているのは、
自分の涙が 彼の顔の上に流れ落ちて、彼の衣服までを濡らした事。
そして 最後に彼が微笑みながら こう言った事。
「自分の日々の暮らしを良く見つめて、勇気を持って生きて行きなさい。」
…杜江群のかつての戦友は言う。
「あの日 彼女と別れてから病院への帰り道、杜江群は泣いた。
病の床の中ですら、明るさと笑顔を忘れなかった あの杜江群が、正視出来ないほど狂おしく、
ずっとずっと泣き続けたんだよ…。」
恐らく彼には分かっていたのだろう。
今日の彼女との接触が、きっと自分の生涯において 最初で最後の経験になるであろう事が。
同年11月、帰国した溝脇千年は 日本共産党に入党する。
それは、本当の意味で 自分が杜江群の“同志”になりたい。
そして いつの日か必ず彼に逢いに行きたいという、
彼女の心からの願いのうちの1つが実現した時だった。
そして、
── 1956年、6月3日。
杜江群は静かに、短い…しかし 優しさと思い遣りの心に満ちた その生涯を閉じた。
彼のベッドの脇には、日本の溝脇千年から送られた日本人形が飾られていた。
この人形の髪の毛は、彼女が自らの髪を切ったものだったという。
その髪は杜江群の生前の望み通り、彼と共に埋葬された。
未だ国交の回復しない日本で、溝脇千年が 彼の逝去の知らせを受け取ったのは、
彼の死後 数ヶ月が経ってからだったという。
その知らせが書かれた手紙は、彼女の涙でびしょ濡れになった。
彼女にはどうしても彼を死を信じる事が出来なかった。
月日は流れる。
生きている者が死者に対して持つべき責任とは、その悲しみを いつの日か乗り越える事だろう。
彼女は日本の地で、日中の友好親善と国交回復に多大な尽力を果した。
それは 杜江群亡き後、彼女が見つけた新しい“彼に対する愛情表現”の1つだったのかも
知れない。 日本帰国後、彼女の元には 数知れない縁談話が持ち込まれた。
しかし、彼女は全てそれを断ったという。
その事に対して、彼女自身は こう答えている。
「…もし、彼が生きて誰かと結婚していたのなら、きっと私もまた誰かと結婚していたでしょうね。
けれど彼は 結婚という幸せを知らないまま死んでしまいました。彼が今際のきわに知っていた
幸せは、私と愛し合い心を通わせたという幸せだけなのです。私が結婚しないのは、
その大切な私たち2人の幸せの記憶を 互いが永遠に持ち続ける為なのです。」
1987年、彼女は彼の死後30年を経て、初めて再び中国の地に戻った。
彼女には 確かめなければならない事があった。「杜江群は 本当に死んだのか?」 という事だ。
あるいは 読者の中には、何を今さら…と思われる方もおられるやも知れない。
しかし、本当に愛する人を亡くした人間の心情は 往々にしてこのようなものである。
「死んだと言うのは嘘で、彼は日本に居る私が自分を忘れて幸せになれるよう、
わざとそんな知らせをよこしたのではないか?」
そんな風に考えてしまう人間の心を、一体誰が愚かだと笑えるだろう。
漢陽(地名)の扁坦山にある彼の墓。その墓前に立った時、彼女は 込み上げる嗚咽と共に、
やっと彼の死を正面から受け入れる事が出来たのかも知れない。
ひとしきりの涙が枯れた後、彼女は 万感の想いを込めて、自分の写真が入った陶器“瓷像”を
彼の墓前に供えたのである(原文の写真参照)。そしてそれまで彼一人の為の墓だった場所は、
彼女と 彼の戦友たちの手により、“彼と彼女”の為の墓に生まれ変った。
毎年6月3日の彼の命日になると、彼女は大切に保管してある 彼からの手紙や贈り物を
部屋に並べて、彼を偲ぶのだと言う。
我是永远爱你的朋友
1994年、溝脇千年は 二回目となる訪中を果たす。
この日彼女が着ていた服は、生前 杜江群が好きだった白い色だった。
彼の墓前に立った彼女は、屈み込んで長い間祈りを捧げ、そして彼への潰えぬ想いを、
日本語でこう囁きかけた。
「…私たち、もう40年も逢っていないのね。でも今日は こうしてここに来ましたよ。
あなたが話してくれた一言一言、その全てを私は今でもしっかり憶えてる。
大丈夫、あの時 四官殿の波止場で あなたと交わした約束を、私はちゃんと守って生きてる。
…だから、安心してね。」
杜江群の墓碑には、彼に対する戦友・親友たちの想いが綴られている。
その落款には紅い文字で
沟胁千年永远爱你的朋友。
(溝脇千年は 永遠にあなたを愛する友達)
と刻まれている。
追記:
── 現在 溝脇さんは既に政界を引退し、長年活躍された京都を離れ、
昨年より郷里の熊本で静かにお過ごしとの事です。
大家,听说过这样的言词吗? 说;『人有两次的死』 我们丢失了肉体,确实死一次。可是,这个并不是真正的死。 你真的从人世消失,那就是记住你的人,谁都不在这个地上的了时候。 丢失他之后的她的人生,可能褒贬不一。可是,我自己相信这个言词是真的。 纯粹的,真实的爱,我想这有时间,空间,连生死的差异都能跨过的强的力量。 你咋想? 还有,(这可能是多余的。)我在翻译这段文章的时候,偶然听到一首歌曲。听了之后,我眼眶就红了。 正好,今天我找到这首歌曲的中译的了。我希望大家一起欣赏。
July 20 日本のカレーは中国で広まるか? 10数年前の北京留学中、中国の友人たちを寮に招いて 食事会を開いた時、
日本人の僕たちが作ったのは『カレーライス』でした。カレールーさえあれば、あとは お肉・ジャガイモ・人参・玉ねぎ
など、極々一般的な食材で作れて、しかも失敗の少ない料理です。
実際、日本の子供が好きな料理というアンケートでは、カレーライスは 常にハンバーグと1位を競い合うような
人気料理だということですから、我々日本人にとって、カレーという料理はもう随分と馴染みが深い料理な訳です。
ところが あにはからんや、集まった中国の友人たちは 新しい物にもそれほど抵抗感の少ない若い人たちだった
にも関わらず、出来上がったカレーライスを見ると 皆一様に“絶句!”といった面持ち…。( ̄_ ̄ i)
カレーの入った皿を手渡されても 誰も自ら手を付けようとはせず、中国人の仲間同士で顔を見合わせていました。
僕も そのカレーを食べましたが、見た目も味も 充分に合格点でした。
けれども 結局、出されたカレーを完食した中国人は 誰も居なかったように記憶しています。
…と、そんな風に 90年代中ごろの中国・北京では、まだまだカレーライスは その市民権を得ていなかったのです。
十年経った今、日本のカレーは 中国の人たちからどんな目で見られているのでしょうか?
日本のカレーは、インドからイギリスを経由して伝わりました。
ご存知のように 元々インドには『カレー粉』も『カレールー』も、共に存在しませんでした。
現在でも インドでは、普通は“マサラ”と言われるSPICEの調合品を元に料理を作り、カレー粉は使いません。
イギリスでカレー料理が広く普及した背景には、イギリス人による『カレー粉』の発明があったと言われています。
では日本でカレーライスが これほどまでに普及した理由は?
もちろん色々と背景的な理由はあるでしょうが、僕が思うに やはり一番の理由は『固形ルー』の発明では
ないでしょうか。この商品の開発により、カレーは家庭で手軽に作れる物に変ったのですよね。
そう。ご存知の方もおられるでしょうが、カレーの固形ルーを考え出したのは 実は日本人なんです。
根据某统计,日本人平均一周一次必定吃咖喱饭。
要说日式咖喱饭,一般认为使用胡萝卜・马铃薯・洋葱・牛肉等。
不过,根据历史资料来说,头一次在日本做了的咖喱饭,牛肉代替被使用田鸡的肉,洋葱代替使用葱,
马铃薯代替使用苹果了。
顺便说,在中文版维基百科里,现在写着日式咖喱饭使用苹果(中文)。
不过,这个可能是现在在中国有一大SHARE的『好侍的百梦多咖喱(咖喱块)』里苹果被用的事为理由。 可是,并不是所有的日式咖喱块里加上苹果的。
对了,我还想起了一个有趣的事。
日本的大部分的家庭已经使用咖喱块。这是固形的,不过,现在大部分的人还称呼着这个为「咖喱粉」。
这是因为「咖喱粉」从英国传到日本来的时候的言词还留下被大家使用着的。
像同样的言词里有日语的「歯磨き粉」。并不是日本人使用粉状的牙膏。( ̄∇ ̄;)
こんなにも便利なカレーの固形ルーなんですが、
長い間 この製品が海外に輸出される事がなかったそうで…。確かに 僕の留学中にはカレールーはおろか、
カレー粉すら、一般的な商店では見かけなかったですよね。中国国内で 日本のカレールーが認知され始めたのは、
やはり“13億人の胃袋、13億のBUSINESS CHANCE”を狙った、日本の食品メーカーの戦略があるのでしょう。
久しぶりのご紹介になりますが、Yahoo!中国関係ブログの大御所みどりさんの記事にもこんなもの(日文)が。
こういった形での販売戦略は まさに日本式でしょうね。日本では 母の日にカレーを…なんてCMもありますしね。
中国での日本式カレーの普及は まだまだ始まったばかりでしょう。
ただ、最近のアンケート統計(日文)では 中国の人が興味の有る日本料理で、カレーは堂々の第三位。
中国のお母様方も 日本の兼業主婦に負けず劣らず忙しい毎日を送っている訳ですから、手軽で美味しいカレーが
これから徐々に 中国の家庭に普及して行く事は、充分に考えられると見て良いのではないでしょうか。
『日式咖喱』というKEY WORDで検索を掛けても、かなりの数の記事がHITして来ます。
ちなみに このアンケート。男性よりも 女性の方が、日本食に対する興味がより高いようです。
この辺は 日本食 = HEALTHY というIMAGEが中国でも一般的なことが原因でしょうかね。
あと、第二位に挙げられている『日本の定食』というのも、興味深いです。
日本人には 割と当たり前に思える、○○定食とかいうMENU。所謂『套餐』と呼ばれるものですが、
これ、恐らく今でも 一般的な中国のレストランのMENUには存在しません。FASTFOOD店には ありますけど。
最近では この日本の定食(ていしょく)が、中国でも定食( Ding shi )という言葉で 一般的にも認識されつつあるよう
ですね。
大きなお皿に2~3人前の料理がどん!と盛られて出てくる。それをまたテーブル一杯になるほど注文して、みんなで
ワイワイ食べる…というのが、一般的に中国人が考える『外で食事する』という事。
そんな中国人にとって、一人分の料理が小奇麗に少しずつ、しかも何種類も小皿に盛られて出てくる『定食』という
食べ方(発想)は、ちょっとしたCULTURESHOCKを感じさせるものなんでしょうかね?
日本人不仅仅接受咖喱饭这个菜,加上各种各样的创意办法而吃着。
那个其中,想出咖喱的印度人也会吃惊的饭菜也多。
譬如,カレーうどん(咖喱乌冬面),カレースパゲッティー(咖喱意大利面),カレーコロッケ(咖喱炸肉饼)。
并且也有与中国菜合成的,カレー炒飯(咖喱炒饭),カレーまん(咖喱包子),カレーラーメン(咖喱拉面)等。
这样的菜,到底是属于哪个国家的菜啊? (・_・;)
还有,在日本所谓「激辛げきから(特别辣的)咖喱」也受人欢迎。
在日本的咖喱专业店的菜单里,大概有比一般的大幅度辣的咖喱,博得着喜欢吃辣的人们的欢迎。
顺便说,在日本有两种吃咖喱饭的时候同时吃的配菜。一个是らっきょう,还有一个是福神漬け。
这两种之中,与咖喱饭最适合的配菜到底是哪一个? 这又正经又没意义的话题,爱吃咖喱饭的日本人之间,
经常出来的。 (;´▽`A`` ドーデモイイジャン
考えてみれば、明治以降の日本は それまでの鎖国政策の反動(?)なのかどうなのか、
とにかく積極的に諸外国の文化・風習を取り入れて、しかも さらにそれを日本風に どんどんとARRANGEして
行きました。諸外国からは良く『日本人は排他的だ。』 などという評価もありますが、こと食に関しては
日本人は 美味い物ならば分け隔てなく、どんどんと自国の食文化に取り入れるようですね。
逆に 中国料理には、あまりこのような傾向は見られないような気がします。まぁ 中国料理は数千年の歴史の中で
完成されたものなので、今さら他国の料理を取り入れる必要もないのかも知れませんが…。
いずれにせよ、美味しい物に国境はありません。
中国の人たちにも 例えばお寿司以外にも、もっともっと色んな日本食を知って欲しいですし、
日本人も お昼は中華で「ラーメン、炒飯、焼き餃子」という、ONE PATTERNなMENUばかりじゃない中国料理を
食べてもらいたいとは思いますねぇ。日本人が知らない美味しい中国料理は山ほどあるんですから。
この辺は 日本でも中国でも、もっともっとREASONABLEで 美味しい日本料理・中国料理を食べさせてくれる
ようなレストランが たくさんできないとダメですよね。
いつの日か、イギリスから伝わったインドのカレーが日本の料理になったみたいに、
中国に伝わった日式咖喱から 新しい中式咖喱が生まれて欲しいなぁ。
・日式咖喱饭的做法(中文)
July 15 日本の夏の風物詩、花火?お祭?いえいえ肝試し! いやぁ~っ、季節はずれの台風4号上陸ですねぇ。
せっかくの連休、釣り三昧の計画が パァになってしまいそうです。月曜日に晴れれば良いのですが…。
中国でも 大雨で大きな洪水の被害が出ているようです。皆さんも 充分に注意して下さいね。
さて、今日も 日中文化比較というよりは、日本の文化紹介的な内容になります。
今週末は 京都で『祇園祭(ぎおんまつり)』が、そして24日・25日は 大阪の夏祭りの代名詞ともいえる
『天神祭り(てんじんまつり)』が始まります。
お祭りといえば、浴衣に花火。でも今日の話題は お祭りじゃあないんですよ。( ̄ー ̄) ニヤリッ
夏祭りに関する話題は、結構みんな記事にしますからね。今日は もう1つの日本の夏の風物詩、そう……
怖ぁ~い、コワイ、『肝試し(きもだめし)』 のお話。
いやいや、ここで怖い話はしませんから安心して下さい(笑)。
僕の通っていた小学校では、夏の林間学校で高野山に行きましたが、そこで やっぱり『肝試し』がありましたね。
皆さんは 肝試しに行ったり、友達と集まって怪談話しで盛り上がった事はありますでしょうか。
在日本从很久以前,闷热的夏天夜晚谈与听「怪談(鬼怪故事)」的风俗习惯。
这样「鬼怪故事」之类,不管什么国家都存在。不过,决定夏天这个时期,大家一起享受「鬼怪故事」那样的,
说不定这只有日本的风俗习惯吧。
为什么不是冬天也不是春天,被决定夏天呀? 关于这理由有各种意见,
一般认为在闷热得睡不觉的日本的夏天夜晚,说叫人毛骨悚然的话,打算觉得稍微的凉爽感的,先辈人的智慧。
大家集聚起来谈这样「鬼怪故事」的时候,在日本有传统的一个惯例。是所谓「百物語(ひゃくものがたり)」的方法。
细小的规定各各地方有差别,笼统的说规定是下面写出的三个。
① 首先准备一百支小蜡烛,把它一起点在另外一个室内。
② 每个话结束,谈完的人亲自熄灭一支蜡烛的火。
③ 话必定到第99话为止。…不然的话,传说上被说一定召集来真正的可怕的存在了!
おばけ~~~ (m´ρ`)m
当然,现在大部分的人没相信那样迷信。实际地进行这个「百物語」的事也非常少了。
那么,现代的日本人怎样享受“夏天的恐怖”呢? 很大地分开起来,有这两种方法吧。
第一个是可以说体验「人造的恐怖」的方法。
到了夏天,日本的游乐场里一定出现叫「お化け屋敷(妖怪公馆)」的娱乐设施。
小欢也最怕的(笑)这种娱乐设施,一部分的小姐们却受欢迎的。
因为,把可怕的事做为理由,可以跟男朋友堂堂正正地紧密在一起。
另外一个方法是「肝試し(试验胆量)」。这是例如去附近的墓地或者破房,有时候也去「心霊スポット※」等的事。
这样的行为,一般年轻的男性们伙伴之间进行的比较多。
不论相信不相信,半开玩笑地进入这样「心霊スポット」的人之中,
有的人真的被幽灵附体了…这样体验谈也听说过。要去的,请做好精神准备就出去吧。
嗯?只要“贴紧”男朋友,我去人造的就够了?不,虽然你这么说,有的「妖怪公馆」真的出现幽灵的风声也有啊。
※ 发生不可思议的现象,幽灵频繁被目击的地方等。
好的,那么为了今夏想跟男朋友紧密在一起的女性们…不对,为了知道日本的「心霊スポット」的朋友们,
我来介绍几个网站吧。(都是日文)
・関西廃墟探訪 (在世间有异怪的爱好的人呐…)
・稲川淳二公式HP 现在在日本最有名的鬼怪故事师。
・【遊園地ドットコム!】☆お化け屋敷 有风声真的闹鬼的妖怪公馆,在这里写着
…実は 僕自身は幽霊なんて、ただの一度も見たこともないんですよ(笑)。
ご存知の通り、ちょっと不思議な体験なら 何度もあるんですけどね。
今日の記事、日本人の皆さんには ちょっと物足りなかったですかね? ( ̄ー ̄;
まぁ 日本人が気になるのは、中国では こういうのってどうなのか? ですよね。
中国にも 一応『怪談』も『肝試し』も、あるにはあるみたいなんですが…、どうも日本とはノリが違うみたい。
基本的には 無神論・唯物主義の国なんで、こういう話に対する温度差ってのは 日中の間で存在するのかもね。
ただ、一般庶民が全て そういった物を否定している訳でもなさそうで、こういうサイト(中文)もあるんです。
残念ながら ネットで調べても、『肝試し』について あまり詳しい事は分かりませんでした。
中国の子供たちって、こういう遊びはしないのかなぁ?
我们日本人差不多都有小时候跟朋友一起谈鬼怪故事的经验。
男孩子们的大部分去过一两次的「试验胆量」了。女性的诸位恐怕难以理解这个价值。
不过,对男孩子来说大家一块儿出去「试验胆量」是又怕又痛快的一大冒险之一。
看这里的中国朋友们,你们的小时候有没有这样的经验?
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